コラム

子どものケータイ利用に深まる教師の悩み(下) - 下田博次


■子ども達の人間関係が把握できない


 私は、養護教員の話で「ショックだった」という部分に注目した。注目点は2つある。ひとつは、以前なら相談を受けるべき養護教員自身の立場がケータイで無くなってしまったのかという疑い。もうひとつは、日常接している生徒の友達関係がわからなくなってきたのではないかというおそれである。


 この10年くらい見ていると、子どもたちはケータイで友達の数を増やすことに躍起になっているようだ。この傾向は、ポケベルというメディアの時代からはじまった。当時は「ベル友」という言葉も生まれたほどで、ポケベルで作った友だち、つまりベル友の数が多ければ多いほど自慢できるというティーンエージャーのサブカルチャーが生まれた。それを拡大したメディアがiモードタイプの携帯電話だった。高校生らはケータイで未だ見ぬ友だちのリストを効率的に作ることができるようになった。ケータイなら見知らぬ土地の非対面のメル友に、実際に出会うことも簡単にできるようになった。つまり友だち作りの空間的広がりが出てきた。


 2000年の後半ごろから「これまでなら全く関係がない他校の生徒とうちの生徒が喧嘩、暴力沙汰を起こすようになった」とか「他県の遠く離れた生徒とウチの生徒が異性関係でトラブルになって相談を受け驚いた」というように地理的空間を越えた問題行動に対応せざるを得ない状況が教員から報告されるようになった。


 友達作りは、未知のメル友に限らない。既知の友達も増えていく。小学校の友達も、さらに中学の友達もメモリーの中でつながっていく。かつては中学から高校へと進学すると友達関係は一新されたが、今はそうではない。そのままつながっていく。我われの時代は、友達というのは顔が見えていて、クラスの中で見知っている関係ですごしたし、教師もそうした生徒の友人関係は把握しやすかった。友達の数も日常生活上関係している者の数はさほど多くは無い。今は、日常生活で関係していない友、卒業した時の友達とか、他校の見たことのない子も全部入れて、友達リストを持ち人間関係を構築し維持している。そうしたなかで関係性がきれない。良い関係なら良いが悪い関係も続く。悪い関係というのは、例えば、不良仲間との関係も転校するとか進学して学校が変わっても切れない。従来であれば、そこで切れて、親も悪い関係ならやっと切れたからいいと思う。しかしプロフ友だちとかメル友関係というのはそうではない。その時間的繋りの拡大が生徒指導や養護の先生達の負担、悩みの種になってくる。


 夜更かしやバイトなど生活リズムの狂いという種類の問題は別として、生徒のケータイ問題に直面した教師らは、「ネットで何をしているのか。どんな関係性が生まれているのか。」「なぜケータイ利用でこんなことになるのか。」という質問をするようになった。


 今や教員もインターネットというメディア利用で、生徒達の人間関係の作られ方、維持のされ方やコミュニケーションの仕方に変化が出ていることはうすうすわかってきた。しかし変化したのは人間関係ばかりではない。子ども達は、ネットでのコミュニケーションや取引など双方向のやり取りの過程で従来の思春期にはない意識と行動の変化をみせている。しかし教師のほうは、子どもらのその変化が把握できないから、教育学者でもない私のところに悩み相談が来る。


 研究会では保護者視点での検討を先行させているが、以上のような実例に鑑みると、教師の目線に立った整理も必要と考えている。




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■下田 博次(しもだ・ひろつぐ)
NPO法人青少年メディア研究協会理事長
シンクタンク勤務から雑誌記者、放送番組制作などを経て現職。
警視庁少年インターネット利用問題研究会座長、インターネットの危険・有害性から子どもたちを守るためのウェブサイト「ねちずん村」を主宰。
著書に「学校裏サイト」「インターネット・リテラシー~子ども達の携帯電話・インターネットが危ない~」などがある。