コラム

自殺予防と格差社会 - 竹島 正

 わが国の若年層(20~30代)の自殺死亡率は、中高年や高齢者と比べると低いものの、近年、確実に高くなっています。


 2008年には20~30代を中心に硫化水素による群発自殺が発生しましたが、東京都監察医務院における2008年中の硫化水素中毒死による死亡例76例の分析結果によると、20~30代は55例(72.4%)を占めており、原因・動機別では、メンタルヘルスの問題が最も多くて28例(36.8%)、次いで社会的問題19例(25.0%)、借金9例(12.5%)等でした。無職者は38例(50.0%)でしたが、その原因・動機別ではメンタルヘルスの問題が過半数を占め、社会的問題、借金、家庭問題と続いていました。この結果は、若年者の自殺予防には、メンタルヘルスの問題を抱えた無職者の一群を重視する必要があることを示唆しています。

 

 また自殺予防総合対策センターでは、全国の都道府県・政令指定都市等の協力を得て、心理学的剖検の手法を用いた、ご遺族からの聞き取り調査(「自殺予防と遺族支援のための基礎調査」)に取り組んでいます。すでに60人以上のご遺族の面接調査を行ったところですが、自殺で死亡した無職の方の中には、未婚の若年者で、メンタルヘルスの問題を抱えた人たちが少なくないことがわかりました。


 患者調査によると、メンタルヘルスの問題による受療者数は近年大きく増加しています。メンタルヘルスの問題は、思春期・青年期に始まるものが多いのですが、学業を続けることや、就労することが難しくなる等、若年層ではその影響がきわめて大きいことに注意する必要があります。そして無職や引きこもりになる等、本人の生活の質が低下することもしばしば起こります。社会の片隅に追いやられている若年者の中には、メンタルヘルスの問題を抱えた人たちが含まれることに注意を向けてください。そしてメンタルヘルスの問題による影響を小さくするためには、早期の予防的介入が重要であることを知っておいていただきたいと思います。


 さて格差社会とは、階層間格差が大きく、社会的地位を変化させることが困難な社会を言います。日本では、経済のグローバル化に伴う国際競争の激化を背景に、正社員の削減と非正規雇用への切り替えが行われ、安定した職につけないフリーターや職につこうとしないニート、働きながらも貧困に苦しむワーキングプアの問題が注目されるようになりました。そして格差社会が進む中で、自殺が増えているのではないかという指摘がなされ、若年者の自殺予防には、雇用や住居の確保等の生活の安定策を優先的に進めるべきとの意見も出されるようになりました。しかしこのような意見を述べる方の中には、メンタルヘルスの問題への気づきがほとんどなく、雇用や住居の確保等の生活の安定策さえ実施すればよいと考えている方もあるように思います。


 自殺のストレス-素因モデルは、自殺行動が、素因(絶望感、衝動性または攻撃性)とストレス(精神疾患、心理社会的危機)の交錯する中で発生することを示しています。若年者の自殺予防には、雇用や住居の確保等の生活の安定策はもちろん重要ですが、自殺の危険のある人たちには、メンタルヘルスの問題を抱えた人たちが少なくないことを知ってほしいと思います。また、このメンタルヘルスの問題を抱えた人たちには、虐待を受ける、家庭内暴力を経験する等、家の中に安心して過ごす場所がない中で成長せざるを得なかった人たちが含まれていることも、ぜひ知っておいていただきたいと思います。


 若年者の自殺予防には、乳幼児期を安心して過ごせるようのすることを含めて、メンタルへルスの問題への対応を包摂した生活の安定策を進めることが必要です。







■竹島 正(たけしま・ただし)
国立精神・神経センター精神保健研究所 精神保健計画部長
自殺予防総合対策センター長、内閣府自殺対策推進室参事官併任

高知県室戸保健所技師、同課長、同所長、高知県立精神保健センター所長を経て現職。専門は社会精神医学 地域精神保健 精神保健の政策研究。